プロフィール
神奈川県在住で、夫と息子2人(大学3年生と高校3年生)の4人暮らし。元新聞記者。現在は会社員としてイベントやセミナーの運営全般を担当し、企画・広報・司会まで幅広く携わる。
2018年(当時46歳)、会社の健康診断がきっかけでステージ1の直腸がんが発覚。手術、一時的ストーマの造設を経験する。罹患後1年たたない2019年、肺への転移が発覚してステージ4に。2021年に直腸がん局所再発となったときに永久的ストーマを造設した。これまでに3度の転移性肺がんの手術を行い、2023年3月より経過観察中。
がん罹患後から、自身の経験をYouTubeなどで発信したり、ほかのがん患者さんの相談を受けたりしている。
健康診断がきっかけで直腸がんが見つかり、手術、肺転移による肺の手術、抗がん剤治療、ストーマの造設と、さまざまな経験をしたK. S.さん。今回は、直腸がんの治療を始めるときに悩んだことや、手術後の局所再発*1の経験などについて、そのときの気持ちとともに詳しく語ってもらいました。
*1 最初に見つかった場所と同じ場所、またはごく近くにがんが現れること
親に心配をかけたくない…。知らせるか悩んだ
―― 2018年6月に精密検査で直腸がんが発覚したとのことでしたが、実際に治療を始める前に、何か悩んだことはありましたか?
両親への伝え方については結構悩みましたし、ハードルが高かったです。両親は実家の北海道に住んでいてとても元気なので、伝えたら絶対ショックだよねって…。親を悲しませたくないという気持ちは、心理的な面では一番つらかったですね。
自分と一緒に暮らしている家族はいいんですよ。もう顔を合わせているし、隠すものでもないし、とにかく子どもの学校のことや毎日のお弁当のことをどうするかとか、いろいろなことに関わってくるから。でも遠くにいる両親にわざわざ伝えて心配だけさせるのはどうなのかな、という気持ちがありました。
もうこのまま黙って手術をしてもいいんじゃないか、とも思いました。でも、夫と話をして、麻酔している間に戻れなくなって、そのまま会えなくなったらどうするの? となって。
「何も知らないまま娘がいきなり死んだらショックだよね」「手術だって何があるかわからないよね」「じゃあ言おう」となりました。そこは夫婦でかなり議論しましたね。
心の中では嫌だったのですが、夏休みに手術の日程が決まったこともあり、その少し前に北海道に帰省して、直接会って言えば大丈夫かなとなりました。「こんなに元気なんだけど。がんなんだけど。元気だから大丈夫」っていうスタンスで伝えました。
そうしたら母親は手術のために上京してくれました。私はそのつもりはまったくなかったのですが、親はいつまでたっても親というか…来たかったみたいです。
あの頃はコロナ禍前だったので、病院に来てくれました。だから今でも、親に心配かけるのはやっぱり嫌だなぁ…というのはあります。
ステージ1だけど、手術は2回必要だった
―― 病院ではどのように治療をスタートしたのでしょうか。
クリニックで精密検査を受けた翌週に、紹介状を書いてもらった病院に行きました。もう一度お尻からの内視鏡検査など、手術に向けた検査をしましたね。その検査が7月くらいで、手術は8月中旬でしたので、その間の1カ月の間に北海道へ行きました。1カ月空いたといいますか、親に伝えに北海道に行きたかったので、予定を立ててよいか先生に相談しました。「それまでにがんが進行して大変なことになりませんよね?」と聞いて「大丈夫です」といった会話をしましたね。
検査のあとにステージ1だとわかり、がんの深さ、浸潤の度合いについて、先生に図解で詳しく説明してもらいました。一時的にストーマ(人工肛門)にして、それを閉じるための手術をもう1回するよ、という説明もありました。「え、もう1回手術するんですか」と驚いた気がします。
私はステージ1だから、少し切って縫ったら終わりだろうと思っていたんです。でも私の場合は直腸がんで、直腸という排便機能に関係する臓器を取っちゃうんですよね。そうするとお尻から排便するのはよくないので、一時的におへその横に人工肛門を作る必要があるそうなんです。
でもお尻の傷が治ったらまた元に戻せるので、もう1回手術するんだよ、2つの手術でセットだよ、ということでした。「あぁ、そうなんだ…」ってもう、新しい世界でしたね。
―― 直腸がんの手術やストーマの造設にあたり、ご自身で勉強したことはありますか?
役に立ったのが、漫画『がんまんが 私たちは大病している』です。ちょうど私より少し前にストーマの経験をされた内田春菊さんが漫画を描かれていて、めっちゃ熟読しましたね。
人工肛門とはこういうことなんだというのがわかって、でも春菊さんも元気にされてるから大丈夫なのかな、みたいな感じで勉強させてもらいました。春菊さんの漫画は私が知っている大腸がん界隈の人はみんな読んでいます。偉大ですよね。
インターネットで大腸がんの経験を発信されている人って少ないんですよ。乳がんは多いようなのですが。大腸がんって、腸が長いからがんができる場所によって全然違うし、ピンポイントで似ている方がいないんですよね。
私と同じ直腸がんの方もインターネットでは見つからなかったのですが、内田春菊さんが本当に近い感じだったので、すごくラッキーでした。今は昔より増えてきていると思いますが、みんな体験談を探すけれど、探しきれない。見つかっても活かしきれないところがあると思いますね。
一時的ストーマを閉鎖したものの、その後、永久的ストーマに
―― 手術をするためにどのくらい入院したのでしょうか?
2018年の8月20日に手術をすることが決まり、前日に入院しました。入院期間は約2週間です。
手術後は1週間ほどストーマのケアの練習があり、ストーマの使い方やパウチの交換の仕方などを学びました。やり方は、ある程度の年代の人であれば慣れると思いますよ。できるようにならないと退院させてもらえないので、がんばって覚えましたね。退院したのはギリギリ8月中だったかな。
月をまたぐとお金がかかってしまう*2ので、入院期間を8月にまとめてもらいました。一次的ストーマはそのまま2カ月半ほどつけていて、そのあと閉鎖する手術を受けました。
*2 高額療養費制度は1カ月にかかる治療費に上限が設けられており、月をまたいだ場合は、月ごとに自己負担が必要になる。
―― 一時的ストーマを閉鎖して肛門からの排便に戻ったあと、後遺症で排便障害に悩まれたそうですが…。
はい、それがとてもきつくて。徐々にマシにはなってくるのですが、便意を感じられないんです。いつでもどこでも、便が作られたら出てしまうので、ちょっと大変でしたね。
私の場合は、そのあとすぐ、肺に転移してしまったことも関係しています。肺に転移する前は、何となく排便も落ち着いてきて、お出かけもできるかなぁというくらいになっていたのですが…。
肺への転移が見つかって肺の手術をしたあと、術後補助化学療法といって抗がん剤治療を半年間やることになり、そのあたりから排便の様子がおかしくなってしまいました。直接的な抗がん剤の影響なのかはわからないのですが、胃腸がやられたのか何かで排便障害がひどくなってしまい、せっかくよくなってきていたのに、大変な思いをしました。
そんな生活が約1年半続き、そんななかで“直腸膣ろう”になり、さらに(直腸に)局所再発をしていることがわかったんです。
それで今は永久的ストーマになりました。2021年1月にストーマを造設する手術をして、ストーマ歴は今年で3年目になりますね。
直腸膣ろうから局所再発がわかるまで
―― 直腸膣ろうになってから局所再発がわかった経緯は、どのようなものだったのでしょう?
排便障害がひどくなって、主治医の先生のところに行って、お尻が痛い、トイレにばかり行っているなどと訴えたのですが、いわゆる痛み止めの薬のほか、便が出ないなら便を緩める薬、逆に下痢がひどいんだったら硬くするための下痢止めの薬、そういう薬を飲むことでコントロールしましょうという治療だったんです。
でも全然良くならなくて、うんうんとうなっていたら、夫に「肛門の病院で診てもらえば」と言われたんです。そこで、主治医とは違う肛門科に行ってみました。
ですが、そこですごく痛い内診をされてしまいました。肛門が痛いと言っているのに器具を突っ込まれて、もう涙が出るくらい痛かったんですよ。
その肛門科で内視鏡検査もしたところ、再発のような状態が見えるから主治医に連携した方がいいと言われました。最終的に主治医の先生のところに戻って詳しく調べたら、穴が開いて腸と膣がつながっているということでした。「大腸がんで“直腸膣ろう”なんてあるんですか?」って聞いたら「たまにいらっしゃいますよ。前にもいらっしゃいました」と言われましたし、壁が薄くてすぐ隣の臓器だから、何かのきっかけで大腸からの膣ろうは起こるみたいです。
緊急入院することになり、そして、そのあと局所再発が発覚しました。それまでずっと3カ月ごとに定期検査を受けていたのですけど、どうやらカメラで見てやっとわかるくらいの、写真に写らない再発っぷりだったらしいです。そのときに永久ストーマをつくることになりました。
私があのとき肛門科に行かなければ、おそらくこのような展開にはなっていなかったと思います。痛みに耐えながらも主治医の先生の言うことだけを聞いて、ずっと痛みに悩まされ、次の3カ月後の定期検査で局所再発が見つかっていたかもしれません。
ですので、今となっては結果オーライです。そのときは痛い器具を突っ込まれて、それで直腸と膣の壁に穴が開いてしまったんじゃないかとまで思ったくらいでしたが、主治医とは違う先生に診てもらったおかげで局所再発がわかったと思っています。
最初の直腸手術から1年経過する前に発覚した肺転移。その後も肺転移を繰り返すなかでK. S.さんは感じていることがあると言います。後編では今に至るまでを振り返ってもらいました。