妻と息子2人(小学6年生と4年生)の4人暮らし。出版社に勤務。
20歳代から潰瘍性(かいようせい)大腸炎を患っていたが、2019年の年末(当時41歳)、通勤中に貧血で倒れて検査を受けたところ大腸がんが発覚。治療方針を決定する際にストーマ造設の告知を受ける。腹腔鏡手術を受けて退院するも3日後に腸閉塞を起こして再入院。つらい絶食治療を経験する。体力の回復をみて6カ月間の抗がん剤治療をスタート。2020年12月に治療が終了し、現在は3カ月に1回のペースで検査を受けながら経過観察中。
電車で倒れて大腸がんが見つかり、手術で腫瘍(しゅよう)を取るとともにストーマ(人工肛門)をつくったS. N.さん。告知を受けたときから経過観察中となった現在に至るまでにどのような治療を経験したのかを語ってもらいました。今回は手術を受けるまでの前編です。
電車の中で倒れて、大腸がんが発覚
—— 大腸がんが見つかったときのことを教えてください。
もともと潰瘍性(かいようせい)大腸炎があり血便の症状があったのですが、貧血で電車の中で倒れて救急で病院に運ばれました。運ばれた病院で1週間ほど入院をしてCT検査や大腸内視鏡検査をしましたが、そこで潰瘍性大腸炎だけではないぞ、となり、大腸がんの告知を受けました。2019年の年末のことでした。
潰瘍性大腸炎は20歳代の後半にかかって、10年間治療をせずに放ったらかしにしていました。電車の中で倒れなければ血便の症状をさらに放置していたかもしれないので、そこで倒れたのは不幸中の幸いかもしれないと思いましたが、腫瘍があると聞いて、まあ、最悪のケースは考えましたね。
—— 医師からはどのように告知を受けましたか。
最初深刻そうな感じだったので、これは何かあるなと思いました。医師からはステージ3の大腸がんで、写真も見せてもらって、腫瘍が2つあることを聞きました。
ひとつは肛門のすぐ裏側あたり、もうひとつが下行結腸の少し上でした。比較的大きな病院(外科)だったので大丈夫かと思っていたのですが、「ここでは治療ができない」と言われました。
先生からは肛門科を2つ紹介されて、私は家から近い方を選びました。「まずは肛門科になるんだ」「どこでも治療できるわけではないんだ」「こんなに大都会で病院がたくさんあるのに2カ所しかないのか…」とは思いましたね。ステージ3で腫瘍が難しい場所にあるということで、治療を受けられる病院が少なかったんだと思います。医師の経験してきた量や範囲によって、紹介される病院が限られてくるのかもしれません。
—— 自分で病院の情報を調べたりはしましたか。
主治医の知っている範囲を超えた情報を持っていたら「ここもありますけどどうですか?」と私から聞いたかもしれないですが、当時はそこまでの発想はなかったです。
入院中に先生と信頼関係ができていたのがよかったのかもしれません。外来だったら1、2回しか話せなかったと思いますが、入院したので回診の時間にいろいろと聞くことができました。最初は潰瘍性大腸炎を放ったらかしにしていたことを、「ちゃんと薬飲んでいれば」と先生から厳しく言われて、反省する、ということもありましたが、入院中にいろいろと話せるようになっていました。ちょっとコワモテの先生だと難しかったかもしれませんが(笑)。
逆に「この先生なんか怪しいぞ」と疑いの目で見ていたら、自分でもいろいろ調べていたかもしれません。
手術で腫瘍を取り、ストーマをつくる
—— 2つ目の病院に行ってからのことを教えてください。
重症の大腸がんの方が多く来る病院で、すぐ手術ができず待たなければなりませんでした。1カ月ほど病床の空き待ちをして、手術の2週間前から入院しました。手術ができる日もその日しかなく、手術日ありきで準備を進めました。
看護師さんも含めて大腸がんの治療に慣れている病院だったので、入院や手術については看護師さんからもだいぶ説明がありました。主治医は女性の先生だったのですが、治療方針の決定などわりとスムーズでしたね。
腫瘍のひとつが肛門のすぐ裏にあったので、ストーマになる、という告知も受けました。肛門の裏に腫瘍がなければ小腸と肛門をつなげることができたのですが、「この肛門の腫瘍を取るにはまわりの筋肉も全部取らなくてはいけない。肛門がもう使えないんです。縫い合わせないといけないのでストーマになります」と。確かにそれはしょうがないな、という感じでした。
手術を受けるのが初めてだったので、切られること自体がもう怖くて…。全身麻酔への不安もあったので、主治医の先生に聞いたり、麻酔科の先生との面談で説明を受けたり、自分で調べたりもしました。
—— ストーマになると聞いた時はどう思われましたか?
ストーマの告知をされた時は、便の出口がおなかのほうに変わるので、においとか…、汚いというイメージがあったのでちょっと大丈夫かな、嫌だなという気持ちがありました。ただ先生は「そんな別に汚いものじゃないよ」という風に言ってくださったので、あ、そうなんだ…って思って。
また、入院中は隣のベッドの高齢の方が摘便をされていたのですが、看護師さんが肛門に手を入れて便を引きずり出すことをやっていて、すごい世界だなと思いました。そういうのを見ていると、そこまで大したことではないのかな…と。ストーマについて全然知らなかったので、少し励まされたというか。心変わりのようなものはありましたね。
便を汚いと思うことについては、徐々に慣れてそう思わなくなる感じでした。実際、処理の仕方を間違ってもれてしまったことが何度かありました。こぼれた時なんかはやっぱりウワーッとなってしまうのですが、それをどう乗り越えるかというか。他人からどう思われるかというのもあるんですけれども、まず自分が ”汚いこと” に慣れるためにはどうするか。私は幸い手術後に数週間入院していたので、その期間でだいぶ慣れることができました。もれても看護師さんがすぐ助けに来てくれて、ベッドが汚れてもマットレスを変えたりとか、汚いという感じを全然出さずに粛々とやってくれて、あ、すごいと思って。そういうのを見ていて気持ちが変わっていったのかもしれません。
—— ストーマをつくるにあたり、自分で調べたことなどはありましたか?
ストーマの使い方などについては手術前から色々教えてもらいました。まずは手術でどの位置に穴を開けるかを確認することから。ふだんどんなズボンをはくのかや、立ったり座ったりしてみて、どの位置がいいかを先生と看護師さんと決めていったのですが、看護師さんもとても訓練されていてスムーズでした。
どういう風にやるかというテクニカルなところは自分でも調べましたし、手入れの仕方とかかゆくなったりした時はどうするかなどは、ストーマ外来も活用しました。
退院後、S. N.さんはストーマのある生活をしながら仕事復帰へ。詳しくは後編に続きます。