妻と息子2人(小学6年生と4年生)の4人暮らし。出版社に勤務。
20歳代から潰瘍性(かいようせい)大腸炎を患っていたが、2019年の年末(当時41歳)、通勤中に貧血で倒れて検査を受けたところ大腸がんが発覚。治療方針を決定する際にストーマ造設の告知を受ける。腹腔鏡手術を受けて退院するも3日後に腸閉塞を起こして再入院。つらい絶食治療を経験する。体力の回復をみて6カ月間の抗がん剤治療をスタート。2020年12月に治療が終了し、現在は3カ月に1回のペースで検査を受けながら経過観察中。
2019年の年末に大腸がんが見つかり、腫瘍(しゅよう)を取り除く手術とストーマ(人工肛門)の造設、抗がん剤治療を経験したNさん。がんが見つかったときは仕事のこと、家族や子どものことが心配になったそうです。がんになる前から勤めていた出版社で今はどのように働いているのか、仕事との向き合い方について語ってもらいました。
出版社に勤務
—— どのようなお仕事をされているのか教えてください。
出版社に13〜14年ほど勤務しています。社会人になったときは別の仕事をしていたのですが、潰瘍性(かいようせい)大腸炎で入院したのをきっかけに退職して、本好きだったことから出版社に就職したんです。
前職よりストレスは多くなくて人間関係もよかったのですが、業務内容は忙しくなりました。企画を出してから1〜2年かけて本を作りますし、打ち合わせなどで人と会うために外出も多いです。
2019年に大腸がんが発覚した時は、ちょうど年末で忙しい時期でした。締め切りもあり次の業務も決まっていたので、(がんが発覚して)凹んでいましたね。
—— 前回の入院から10年ほど潰瘍性大腸炎を放置してしまったのは、仕事が関係していたのでしょうか。
仕事も忙しかったですが、結婚して子どもが産まれて、子育ても忙しかった時期でしたね。子どもが2人いて、7年間くらい夕方6時に保育園のお迎えをしていて、6時に迎えに行くためには5時ぐらいに会社を出る必要があって。そんな毎日で、自分の病気のことはほとんど構うことができませんでした。
潰瘍性大腸炎は寛解と再燃を繰り返すのですが、幸い下痢もひどくなくて、もう治ったのかなと思うほどに安心してしまっていたんです。
また病院が自宅から離れていたこともあって、仕事との兼ね合いで病院に行きそびれてしまった。休みを取りたいと言えば取れたと思うのですが、新しい仕事に就いて実績を残したいという気持ちもあって、おろそかになってしまったのだと思います。
がんになって不安に思ったこと
—— 大腸がんが発覚した時の仕事の状況について教えてください。
通勤中に倒れた時は、ちょうど上司と部下がいる体制で、うまく連携が取れるような状況でした。上司は厳しい人ではなかったですし、何かあれば手伝ってくれる環境でもありました。その時は2冊担当していて量は膨大ではあったのですが、整理して引き継ぎ、進めてもらいました。会社にはしっかり伝えられたしフォローしてもらえたので、治療に集中できました。
正直、大腸がんだとわかってステージも重たそうとなって、その後自分が生きられるかどうかっていうところで、仕事どころではないという気持ちだったと思います。家のこと、子供のことが心配で…、死んじゃったら終わりだしなと思っていました。
—— ストーマ造設などもありましたが、仕事への不安はありましたか。
まずストーマでおなかのほうに便が溜まっていくこと自体、最初は信じられないというか、なかなか受け入れづらかったです。そして、ストーマをつけながらうまく仕事ができるかと不安でしたね。
また、入院中は絶食して治療をしたので、起き上がれないぐらい筋肉がなくなりました。点滴や尿道カテーテル、ドレーン*とか、いろいろな管がついていた時期もあって、動く気力も体力もなくなっていました。
今でこそスタスタと歩けるようになっていますけど、当時は10m歩くのもおぼつかないほどでした。これでは普通に仕事はできないなと、弱気になっていましたね。
* 術後に体内の不要な貯留物を排出するために挿入されたチューブ
退院してからは仕事のペースが変わった
—— 退院して仕事復帰されてから、仕事のペースなどは変わりましたか。
コロナが流行した時期と重なったので、出社するのは週1回くらいで、それ以外の日は在宅で仕事をしていました。自宅で勤務できたので、この状況はむしろ自分にとってはよかったと思います。
ただ、生きるか死ぬかって時期は仕事のことまで考えられなかったんですが、回復してくると、自分が出した企画が進められないことに焦りを感じることはありましたね。
通勤する時は便がもれると大変なので、うまくテーピングをしてストーマのパウチが破れたりズレたりしないように気を遣っていました。あとは抗がん剤治療をしながら勤務していた時期は倦怠感やしびれがあったので、あんまり無理はできませんでした。自分はいろいろやりたい性格ではあるのですが、気持ちを抑えていました。
この仕事は、やろうと思えばどんどん企画を出して無理ができてしまうんです。でも、できないこともあるんだということを病気になって学びましたね。仕事への臨み方が変わって、うまく抑えながらやるようになりました。
仕事はうまく先送りする
—— 仕事で無理をしないために、工夫していたことはありますか。
以前は「あと1時間やる」「あと2時間やる…」と働いていたのですが、「もう6時だから6時半くらいで終わろう」というふうに、時間でうまく切るようにしました。これ以上やると翌日にはもっと疲れが来るぞ、と予測できるようになりましたね。
在宅勤務のときは家でいくらでもできてしまうので、今日やっておいたら翌日楽になりそうだと思うけど、やめる。締め切りまでしばらく期間がある場合や、しわ寄せがそこまで大きくならない場合は、欲張ってやらない。なるべく先送りにしてしまおう〜っていう感じでやるようにしています。
—— 体力が回復するまではどれくらいかかりましたか。
退院した時はだいぶ弱っていて、何とかもとに戻したいと思いつつ、抗がん剤のせいか、なかなか疲れが取れない時期が2年以上続きました。
やっぱり体力は回復させたいので、山登りに行ったり子供と走り回ったり、体を動かすことは意識するようにしましたね。その後はぐったりしてしばらく横にならないと駄目な感じにはなるんですけど。あとは筋トレをなるべくするようにしました。
20歳代の頃ぐらいまでは結構運動をしていたんですけど、仕事も子育ても忙しくて、がんになる前はあまりしていなかったんですよね。いろいろ体のことを勉強しているうちに、運動をやめたのはよくなかったんじゃないかと思いました。3年くらい経って少しずつ体力が回復して、最近は倦怠感がだいぶ薄れてきたかなとは感じています。
がんになってもフォローし合えて居場所がある体制がいい
—— そのような働き方について、周囲の理解はありましたか。
はい、わりとよかったです。部署が違ったので私はよく知らなかったのですが、先輩にストーマの方がいたみたいで。だから、会社の人も状況はよくわかっていたようで、急にみんな優しくなりましたね。ふだんから別に怖いことは言わないんですけど(笑)、すごく丁寧になったというか。
逆に「病気だから」とずいぶん丁寧に接してもらって、嬉しい反面、垣根ができたように思いました。病人だから大事に扱わないといけないと思うのは当然で、回復していないのに前と同じように働くしかない環境だったらつらかったと思いますが、「大丈夫? 大丈夫?」って必要以上に病人扱いされるのも気になってしまうというか…。気遣ってくれるのはすごくありがたいですけど…、そのさじ加減が難しいですね。
まだ子供が小さいのにがんになって、不憫に思って余計によくしてくださったのかなとも思います。いろいろやりたい性格なので、変に仕事を制限されたり、楽な部署に移されたりしていたら、それはそれでつらかったと思いますが、そういうことはありませんでした。無理をさせて再発したら会社としては困るし、仕事を制限し過ぎたらストレスになるし…。難しいところですね。
妻など家族には細かい業務内容までは話していなかったので、復帰してから仕事のことであまり無理しないでとか、そのようなことはあまり言われなかった気がします。心配はしていたかもしれませんが、やりたいことをやらせてもらえたのは、私にはよかったと思います。
—— より働きやすさを考えたときに、もっとこうあったらよかったなと思うことはありますか。
ひとりでやる仕事が結構多いので、チームで同じことをやるまではいかなくても、うまくフォローし合える体制があるといいのかなと思います。ひとりで仕事ができるのはいいんですけど、どうしても仕事量が多くなってしまいます。上司とも相談しながら進めますが、結局担当者がメインでやることになって、最後の方は誰かが助けてくれることはありますが、チームプレー的なところは弱くなるかなとは思います。
職種によっては、みんなでやらないと成り立たない仕事であれば、病気で抜けてしまってもフォローしてもらいやすいと思いますが、それでも自分のチーム内での役割を考えるとやっぱり焦りは出てきますね、たぶん。仕事柄、担当がはっきりしてますし、役割が明確ですから、そういう発想になります。
だから、退院して戻ってきた時にチーム内に居場所があれば、いいのかなと思いますね。私の場合は、前と同じ仕事をやらせてもらえたのが、復帰後の居場所になっていたように思います。同じ場所に戻ってきて、やれるのかやれないのかを自分で実感してみて、これはつらいなと思えば自分で判断したり、同僚に相談して背中を押してもらったり…。やれそうであれば、病気でできなかったことをもう一度チャレンジできるのは大事だと思います。
チームで穴が空いたから、すぐに他の人を補充して…というやり方は、病気で苦しんだ上にまたつらい思いをすることになりそうです。
こうあったらよかったなというのではないですが、ゆるいチームの関係があって助け合いながらも、自分の居場所があって個人の部分もしっかり認めてもらえる環境は、私にとって理想的なように思います。