【プロフィール】
東京都在住。妻と中学生の息子との3人暮らし。
2018年10月(当時40歳)、人間ドックで見つかった胃がんはステージ4で転移(腹膜播種・ふくまくはしゅ)があり、その後、胃の全摘手術を含む3度の手術と抗がん剤治療を経験。
スポーツ関連企業に勤め、現在(2022年)は治療と仕事を両立中。楽しみは息子の成長と寿司を食べること。
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がんが見つかった当時、転職を控えていたSさんが、前職と転職先の両方の会社に相談しながら転職を実現し、新しい会社でのスタートを切るまでの困難な数カ月間の経験を、仕事への熱い思いとともに語ってもらいました。
転職が決まってすぐのがんの告知
ーーがんが見つかったときの状況を教えてください。
当時の僕は40歳になったところで、もともとやってみたかった仕事に転職が決まっていました。転職前に30歳・40歳検診みたいな区切りの人間ドックが安く受けられるから、本当に軽い気持ちで受けたんです。そしたらがんの告知をされて、驚きました。
その時は、「早期がんだから(胃を手術で)切ったら大丈夫」という話で、仕事の引継ぎを早く進めたかったので、「とにかく早く手術してくれ」と先生に伝えました。そのとき転職先には、「ちょっとがんが見つかっちゃったんですけど、早期がんだからいけると思うんで」みたいなことは伝えました。そんなに不安もなかったんです。
でも手術で転移が見つかり、胃を切られずに終わりました。その後、主治医から、転移もあって腹膜播種で抗がん剤もやんなきゃいけないっていう話が出たときに、僕はいつまで生きられるんだろうか……って、初めて『死』を意識したんですよ。絶望感というか……、抗がん剤を飲むというと副作用とか不安なイメージしかなかったんです……。
僕はある程度期待されて転職したのでトランプでいうと『エース』だと思っていたんですよ。僕の中で、勝手にですけどね。それががんだとわかって、僕は『ババ』じゃないかと……。そうじゃないですか?転職先からしたら、エースだと思って採用したら病気を抱えた『がん』のやつが入ってくるって。「お前もっと早く(がんに)なっとけよ。そしたら不採用になったのに」みたいなことを思われてもおかしくないですよね。さすがに直接僕に言う人はいなかったけれど、そんな風に考えたこともありました。
家族からの反対、でも自分の道は自分で選びたかった
ーー奥さんやご両親は、転職に対して心配されたのではないですか?
子ども以外は妻も親も兄弟も全員反対ですよ。妻が反対するのはまだいいんですけど、両親や兄弟も反対してきたのが若干重荷でしたね。しょうがないんですけどね。
両親や兄弟からは「そのまま(前職に)残らせてもらったらいいじゃないか」と言われたんですね。それはそうですよね、前職は一般的に名前の知られた会社で、収入も安定してました。それに転職先では前職よりも通勤時間が長くなることから、そこも心配されました。
でも「俺はもう(転職先に)行きたいんだ」「病気の心配をしてくれるのはありがたいけど、俺の人生は俺の好きなように選ばせてよ、俺の人生なんだから」っていう話をして、最終的には「もうわかった」と言ってもらったんですけど、説得するのがやや大変で疲れました。
妻はあんまり言わなかったのですが、初めは反対していました。でも一番最初に「もうあんたの好きなようにしたら」って、背中を押してくれたのは妻でしたね。
ーーご家族とそんなやり取りがあったのですね。お子さんとは転職のことで何か会話はしましたか?
子どもだから転職するとかしないとか、そういうことはわからないだろうけど、妻に病気のことを話したときに子どもにも伝えました。当時小4だったのでどこまで理解してくれてたかはわからないですけど、病気のことは素直に心配してくれてました。
転職については、僕が決断をしたときに「もともとの(転職する予定だった)ところに行くよ」っていう話をしたって感じですね。実は転職先での仕事は子どもの好きなサッカー関連だったので、僕がそっちに決めたことは子どもにとってプラスだったと思います。
前職の上司の配慮は一生忘れない
ーー退職が決まった中でがんが発覚したことは、当時勤めていた会社にはどんなことを伝えたのですか?
手術の前後で、伝えた内容やそのときの気持ちが違っているんです。
まず手術をする前の時点では『早期がん』だと思っていたので、上司には冷静に病気の状況を伝えられたんです。手術をすれば1〜2週間ですぐに復帰できるから、きちんと引継ぎをして転職することを話しましたね。さらに『がん』だという情報は極めてプライバシーの高い情報なので、上司の上の人や人事というごく一部の人だけにとどめてほしいと、直接上司にお願いしました。同僚には『手術が必要な病気がある』くらいにとどめていてほしかったんです。そうしたら、上司も「わかった」と要望どおりに対処してくれました。
でも、手術で転移がわかった後は、僕自身が冷静に話すことができなくて……不安な気持ちが伝わってしまったと思います。それに「この病状だけど予定通り転職します」とも伝えられなくて……そんな僕を上司は心配してくれて「この会社に残る選択肢もあるよ」と提案してくれましたね。本当にすごくありがたかったし、心が救われた感じでした。
ただ、本当に自分がやりたかったことはなんだろうって改めて冷静になって考えてみると、生きられる時間が長くない可能性がある中で、やっぱり自分は転職したいという気持ちになりました。その気持ちを上司には素直に伝えて、予定通り引継ぎをして退職しました。
ーーなるほど、辞める上でやることはきっちりやるという真摯(しんし)な姿勢と率直な感情が上司の方に伝わったんですね。
そうですね。上司の言葉だけでなく、さまざまな配慮にも感謝しています。大きな会社でしたから、上司一人の判断だけでは決められないことも多く、たくさんの人と交渉してくださったと思います。それをちゃんとやってくださったことが本当にありがたかったというか、自分が逆の立場になったときにそんなことができるかなって。そういったことを通すのもパワーが必要ですし前例がないですから、とても恵まれていたと思います。僕ががんの治療と仕事を両立させるうえで、上司の存在はとても大きかったなと。その上司が僕にやってくださったことは死ぬまで忘れないと思います。
転職する前に正直に話しておいてよかった
ーー次に、転職先の会社にがんが発覚したことを伝えたタイミングや、その内容について教えてください。
転職先にも、あらかじめ自分が『がん』であることは伝えましたね。転職先に相談したときには、まだ抗がん剤治療は始まっていなかったんです。でも、この先抗がん剤治療を始めることは決まっていたから、「抗がん剤の副作用がどこまで出るかわからないので、ちょっと不安です」と正直な気持ちを伝えました。それと、「副作用にも色々あるし薬もあるので、たぶん仕事はできると思います」とも伝えていました。でも実際には、まだ抗がん剤を飲んでないしどうなるかわからないから自信がなかったですね。
前職と同様に転職先の会社でも、自分ががんであることを知っている人は、限られた人だけにしてほしいことも伝えました。
がんであることや、僕がどう思っているかについて、初めから隠さずに伝えていたことが結果的にはよかったと今では思っていますね。
ーーがんであることを転職先に伝えた後、転職先の会社の対応はどうでしたか?
実は、勤務開始予定日の直前から抗がん剤治療を始めることになっていたんですね。そうしたら、転職先の会社が配慮してくださって、転職後の初めの1カ月は自宅待機の期間を設けてくれたんです。その時はすごく感謝しましたね。
ただ、実際には副作用を抑える薬がよく効いていたから影響がほとんどなく、僕としてはすぐにでも働ける状態でした。でも会社からは「自宅にいてください」と言われるから、時間を持て余してしまって……。僕は社会から求められていないのかな……という漠然とした不安が出てきました。
会社の不安を払拭するためにも、主治医の診断書は有効
ーー転職したばかりでその状況は不安だったでしょうね。では、出社が決まったきっかけは何だったのでしょうか?
僕が「大丈夫だから働かせてくれ」とどれだけ会社に伝えても、首を縦に振ってくれない。「抗がん剤治療をしているんだから、無理しないで自宅にいてください」という感じで、話は平行線で。そんな状況が続いて、会社も困ったんだと思います。「じゃあ主治医の診断書を持ってきてください」と言われたんですよね。僕が言うように働いても大丈夫かを、「主治医から見て客観的に判断してもらってください」って。そういうものを書いてもらうという選択肢は考えてなかったのですが「1回主治医に聞いてみます」と返事しました。
主治医に相談したら、二つ返事で書いてくれることになりました。僕が「会社がこういうことを気にしているから盛り込んでほしい」ということを主治医に伝えたら、主治医が、『これぐらいの頻度で通院がある』とか『これだけはちゃんと確保してあげてほしい』とか、会社に向けた要望などもしっかり診断書の中に書いてくれました。診断書を主治医と一緒に書いている感覚でした。僕は主治医と比較的よい関係が築けられていたし、主治医も真摯に対応してくださる方だったので、積極的に相談しました。
そのあと書いてもらった診断書を会社に提出したら、出社の許可が出ました。会社からすると本人の言動だけでは判断できないから、診断書があれば安心材料になるんでしょうね。交渉している最中の自分にはわからなかったことでした。
会社が気にしていることをふまえて医師に診断書を書いてもらって、会社に提出して認めてもらう、これはお互いにとって大事だなと思いました。
ーー先生に率直に相談してよかったですね。どうもありがとうございました。